いつでも変われる。スタート地点は今。

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当たり前のことだけど、再確認。
そういう出来事が日々のなかで時折訪れてくれます。
この日、この瞬間に、きっと意味があって訪れてくれている。
そう、思うことで気づきが深まるのだと感じます。

そこに至るまではぐちゃぐちゃな気持ちになったりして、心からの感謝など難しいけれど…。

今朝はすべてを投げ出して、ひとりで海へ行った。
もう嫌だ!
なんでいつもこのパターン?
なんでまたこんな気持ちにならなくてはならないの?
否定されることへの残念な気持ちと、寛容さに欠ける自分への苛立ちと、何だかなーっと。
我慢することが出来なくて、子どもたちの準備とかバタバタな朝なのに、全部投げ出して家を出た。ごめんなさい。こんな母親、こんな妻、いかんなぁー、ごめんなさい。でもその場にいても、皆に害になるような気持ちになると私はいつも離れてしまう。

ひとりで海にいても、なにか食べてやり過ごそうとしても、解決策ではないのはよくわかっている。根っこにあるものが消えるわけではない。
じゃあどうすればよい?ともがいてもがいていつも乗り越えて進んでいるのが人生なのかな。
話し合う、こだわりを捨てる、忙しくする、忘れる、許す、認める、感謝する、エトセトラ。

自分のなかにとどまっている限り、気持ちが晴れることはなかなかないのかなーと思います。
そういうときがあるのも大事だけど、自然に触れる、誰かに会う(そんな気持ちになれないときは無理しない)、空をみる、自分はちっぽけ極まりなくちっぽけ、だけども生かされている。生きていてよい存在である、と思ってみる。
何かをしなくてはいけないと焦ることもない。
よしとする、このままとどまっていることなど何一つなくて、変えようと思えば何だって変えられる。
だから、変われなくても変わっても、よしとする。

気づけば何かが動く。今が常にスタート地点。